
From juncoop To at 2004 12/27 22:04 編集
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2004年もあとわずか・・・・
今年の仕事もあと2日となりましたが、風邪の予感もあるが、なんとか頑張りたいと思います。たいがい明日で終わりとちゃうの?よその会社は・・・!
ところで、オデットさん頑張ってください。ベートーベンのオラトリオはマイナーですが、良さそうですね。私はバッハ・カンタータとベートーベンの合唱付を聞きたいと思います。それから荘厳ミサもやめられませぬ・・・・!
ところでmontさん、マタイの第52曲「頬に伝う涙が何の役にもたたないのなら」のアリア、よろしいな・・! 私はこのアリアの良さをクレンペラーによって教えられました。レシタティーヴォの「鞭打ちをやめよ」第51曲の跳ねるような弦が鞭打ちの表現だとしたら、このアルトアリア「頬に伝う涙が何の役にもたたないのなら」もやはり弦の伴奏が跳ねております。つまりこのアリアもやはりイエスへの鞭打ちを表現してるのではないかと、私は考えております。この弦の伴奏は時計の振り子のように揺れるような旋律ですよね?これはまさしく鞭ではないかと・・思います。このアリアは早めのテンポで演奏されることが多いのですが、クレンペラーは重厚にゆっくりと演奏しています。その演奏はまるで嘆きそのもののアリアですね。
「頬に伝う涙が何の役にもたたないのなら、私の心を取るがよい」というように、私は「心」を取るがよいという訳に賛成したいと思います。なぜなら、「イエスを鞭で苦しめる様を見て涙することが、イエスを助けるためになんの役に立たないというなら、その涙までを否定するというなら・・その否定する者は、心ある者ではない!
第51曲レシタティーヴォ O Geißelung o Schläg' o Wunden! ああ 鞭打ち、ああ 殴打、ああ 痛ましい傷! Ihr Henker haltet ein! 刑吏よ、やめてください! Erweichet euch der Seelen Schmerz この魂の痛みに、 Der Anblick solchens Jammers nicht? このような惨い光景に心動かないのですか? Ach ja ihr habt ein Herz ああ そうです、あなた方の心は、 Das muß der Martersäule gleich 拷問の柱のようなものか、 Und noch viel härter sein. もっと冷酷なものに違いありません。
「このような惨い光景に心動かないのですか? ・・・そうです、あなた方の心は、 拷問の柱のようなものか、 もっと冷酷なものに違いありません。」というように、「心」がテーマになってます。「だから否定するのなら私の心を取れ」という事だと私は考えます。つまりこのレシタティーヴォとアリアはイエスを苦しめる人々に対して嘆く音楽ではないかと考えます。血を流し受け止める器でもある心は、両方にかかっていると考えます。ここは、「心」と訳したい!!
52.[アルト・アリア] Können Tränen meiner Wangen もしこの頬を流れる涙が Nichts erlangen 役に立たないとしても、 O so nehmt mein Herz hinein! どうか、わたしの心は受け取ってください! Aber laßt es bei den Fluten この心をその流れの傍らで使ってください。 Wenn die Wunden milde bluten その傷が穏やかに血を流した時に、 Auch die Opferschale sein! 捧げ物の器として!
反論受付中・・・・
【今日の音楽】
●バッハ/マタイ受難曲BWV244 (その1)
フリッツ・ヴェルナー指揮
プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団
ギーベル(S)Gunther(A)クレプス(Evange) ケルヒ(Jesus) ウェデルマン(B)バルヒェット(vn) コッホ(gamb) ランパル、ラリュー(fl) ピエルロ、シャンボン(ob) アラン(org)
1958/ワーナークラシックス
今日から、ゆっくり聞き込んでおります、ヴェルナーのマタイ。
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